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繋-TUNAGU- 会員様インタビュー

繋-TSUNAGU-

Vol.72 2024.may

胸襟を開いて相手と向き合い、前を向いて挑戦し続ける

中之島高速鉄道株式会社

代表取締役社長

中野道夫 様

中之島高速鉄道株式会社  代表取締役社長
京阪産業株式会社  顧問
中野 道夫 氏
(略歴)
1958年10月17日生まれ
1981年3月 大阪市立大学工学部 卒業
1981年4月 京阪電気鉄道株式会社(現 京阪ホールディングス株式会社) 入社
2010年6月 中之島高速鉄道株式会社 常務取締役
2012年6月 株式会社京阪エンジニアリングサービス 代表取締役社長
2013年6月 京阪電気鉄道株式会社 執行役員(不動産業統括)
2016年4月 京阪ホールディングス株式会社 執行役員(運輸業統括)
       京阪電気鉄道株式会社 常務取締役(技術部門担当)
2017年6月 京阪ホールディングス株式会社 取締役常務執行役員
       京阪電気鉄道株式会社 代表取締役社長
2021年6月 中之島高速鉄道株式会社 代表取締役社長(現在)
2021年9月 京阪産業株式会社 顧問(現在)

心臓病を克服し、大型構造物への憧れから土木工学の道へ

私は小学1年生の秋に、心臓の手術を受けました。先天性の心臓病で、当時の手術の成功率は8割、つまり2割は死亡の可能性があったそうです。両親の勇気ある決断のおかげで手術は成功し、水泳やソフトボール、中学からは剣道などのスポーツも楽しめるようになりました。両親は既に亡くなりましたが、この勇気ある決断をしてくれ、愛情をもって育ててくれたことに心から感謝しています。

高校生になると「将来は地図に残る大きな構造物を造りたい」と考えるようになり、大阪市立大学工学部の土木工学科に進学。就職先に京阪電気鉄道を選んだのは「ゼネコンは仕事がきついと聞いたし、官公庁は採用試験が難しそうだ」という不真面目な理由と、「鉄道会社なら新線や高架化の工事もあるし、大きなものを造れるかもしれない」と、夢の実現を狙ったためです。

入社して半年ほどは、駅員や車掌、そして運転士見習いとして働きました。当時は、指導員のサポートがあれば、本職として運転士を目指す者でなくとも新入社員の教育の一環で列車の運転ができたのです。その際に運転技術や車両の構造、信号・変電・電路等の設備について学びましたし、それらの知識は他の業務でも大いに役に立ったため、とても貴重な経験でした。

その後、東福寺~三条駅間地下化工事の設計・積算や、出町柳駅への延伸工事、枚方市駅や寝屋川市駅の高架化、中之島線の建設における工区全体の調整や外部関係者との折衝等で大規模建設工事に携わった他、軌道や土木構造物の保守管理など、鉄道に関わる幅広い業務に携わりました。大規模鉄道建設工事にも関わったため、学生時代の夢は叶いましたが、次第に“モノ”よりも“まち”をつくることに楽しさややりがいを感じるようになっていきました。

鉄道事業は“まちづくり”そのもの

線路の延伸や、地下化・高架化などの工事は、単に「新しい線路と駅を作る」「踏切解消のために線路を地下や高架上に移動させる」だけではありません。いずれも、その地域の“まちづくり”に大きく関わっています。
たとえば、高架線を造れば高架下スペースが生じ、そこに新たな商業施設などが入れば周辺地域が賑わいます。延伸に伴う新駅の建設も、周囲の道路・公園・水辺等の公共空間整備などの周辺開発と同時に進められます。そのため、まちづくりの主体となる自治体や地元住民との関係づくりが非常に重要となります。

ある地域では、工事に反対する住民団体の代表の方から、夜中に「夜間工事を止めろ」と電話がかかってきたことがありました。私はその人が酒好きだと知っていたため「チャンスだ!」と思い、お酒を持って自宅を訪問し、朝まで飲みながら話し合いました。そうしたやりとりを重ねて徐々に良好な関係を構築し、定期的に説明会等を実施したりして、住民の懸念や不満をひとつずつ解決していきました。

思い返せばこのとき、学生時代に熱中していた剣道が活きていたのかもしれません。剣道は自分の気持ちを開いて堂々と構え、相手のすべてを受け入れて対峙し、機を見出して迷わず打ち込んでいくスポーツです。上下関係やチームワークも大切にし、自分よりも相手を重んじる“利他の心”を育てます。
大規模工事やまちづくりは、自身の都合のみで進めれば必ず失敗し、相手の立場で考えて交渉すれば上手くいきます。剣道で育まれた精神性は、図らずもこの仕事に合っていたのです。

 

明るく元気な職場をつくり、前向きなチャレンジを促す

京阪電気鉄道の社長に就任したとき、経営方針「安全とチャレンジ」は、前社長からそのまま引き継ぎました。
鉄道会社にとって「安全」は経営の根幹です。私は、鉄道のトラブルや事故の原因は、多くが技術力不足であると考えています。そこで、社員に実践的な訓練をさせる総合研修センターを建設しました。また、鉄道の安全は、事故の再発防止策の積み重ねによって作られていることから、過去に起きた事故とその対策方法を学ぶ「事故・安全の歴史館」も作ることとしました。

そして「チャレンジ」には、私個人の思いも込めています。入社当初に上司から、「前向きな失敗は許すが、後ろ向きな失敗は許さない。だから、失敗を恐れずに前向きにチャレンジしろ」という言葉をもらい、私も部下に伝え続けてきました。
それと「明るく元気に」という言葉で部下を引っ張ってきました。2016年に不動産業から運輸業に帰ってきた時、京阪電気鉄道の技術系の事務所は、様々な課題を抱えていたせいか、とても静かで暗く、会話が少ない状態でした。こんな雰囲気では言いたいことが言えない、挑戦もできない、しいては、トラブルや事故を起こしかねないと思い、「元気を出せば運気も上がる、元気がないと運気も下がる。だからもっと明るく元気を出せ!」と呼びかけ何でも言える職場づくりに取り組んできました。

私としても一つでも多くの意見が出て、それを逃すことなく汲み上げるよう努めてきました。
私自身、先輩方の力強い指導や助言、部下の理解と協力により、失敗を恐れず色々なことにチャレンジでき、ここまでやってこれました。諸先輩方、部下の方々に心から感謝しています。このチャレンジ精神は、次の世代も受け継いでほしいと願っています。

 

中之島エリアのさらなる発展を目指して

今の目標は、「中之島線の九条駅までの延伸」と「中之島を世界が注目する関西一の観光地」にすることに寄与することです。
中之島には鉄道で西からアプローチできません。九条駅まで延伸することにより、大阪メトロ中央線で夢洲等湾岸エリアから、阪神なんば線で神戸方面や奈良方面から中之島に来れるようになると共に、大阪の東西軸が形成でき、中之島、天満橋、京橋の開発促進に繋がると考えています。ハードルはいくつかありますが、実現に向けて尽力したいと思います。

また、中之島線は中之島西部地区の開発促進のために建設し、開発が進むにつれて徐々に利用者が増えてきました。ところがコロナ禍によりテレワークが定着し利用者は減少、IT系企業等優良企業の多い中之島ではその定着率が高く厳しい状態です。そこで、大阪・関西万博とも連携しながら、中之島公園や河川等の公共空間を活用して、「水・光・食」をテーマに水都大阪の象徴的なエリアである中之島を見違えるような観光拠点にすべく、関係者の方々と力を合わせて具現化していきたいと思います。

その結果として中之島線が多くの観光客にも利用してもらえるようになればと思っています。

 

GCCOの皆様と楽しい時間を過ごしたい

 

私をガーデンシティクラブ大阪に誘ってくださったのは、大学の先輩であり、ウィルシップ株式会社の三谷英司社長でした。

これまで何度かイベントに参加し、多彩な分野の方々と出会い、交流させていただき、とても良い刺激をもらっています。
アクティビティ・コミッティのメンバーとして、5月に寝屋川にある京阪電車の車両工場の見学を実施予定です。秋には「水都・大阪」の魅力を会員の皆様に知っていただくため、天満橋から船に乗って、堂島川、木津川、道頓堀川などを巡るツアーも考えています。楽しい時間になるよう頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

まっすぐな気持ちで絆を結び、笑顔あふれる空間を生み出す

いつも明るく元気な中野社長が、実は子どもの頃に心臓病を患っていたとは意外でした。

同じ病気で入院していた子が、手術で亡くなることもあったそうです。仕事でもGCCOでも、常にまっすぐ人と向き合い、何をするにも助け合いを重んじておられるのは、幼少期のご経験も影響しているのかもしれません。
昔はブルーシートが並んで近寄りがたいイメージだった中之島が、中之島バンクスや八軒家浜などによって洗練された芸術・文化・情報の発信地に発展したのも、中野社長が多くの人々と腹を割って話し合い、多様な意見を取り入れて進めてこられた成果なのでしょう。

アクティビティ・コミッティでもその手腕を発揮され、楽しいイベントを企画してくださるとのこと、大いに期待しております!(編集子)

 

(インタビュー記事:ライティング株式会社)

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