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繋-TUNAGU- 会員様インタビュー

繋-TSUNAGU-

Vol.73 2024.july

人と人とを繋ぎ、生涯続くコミュニティを創る

株式会社ホロニック

代表取締役

長田一郎 様

株式会社ホロニック

代表取締役

長田一郎氏

(略歴)

1967年生まれ

1991年 同志社大学 神学部 卒業

1991年 大和証券株式会社 入社

1994年 株式会社Plan・Do・See 入社

1998年 株式会社ホロニック 設立 代表取締役に就任

 

起業を夢見た下積み時代


会社の経営をしていた父の影響か、学生時代から「起業をしたい」というおぼろげな夢がありました。そのため、スポンサーを探して冊子を発行したり、パーティーを開催したりするような、小さなビジネスを自然と手がけていました。
卒業後は大手の証券会社に就職しました。金融業界での経験が、起業に役立つと考えたのです。楽しかったのは、飛び込みの営業で様々な企業の経営者を訪ねることでした。武勇伝や失敗談を聞き、その生き様や理念を感じることが何よりも魅力的で、勉強になりました。
三年ほど勤めましたが、自分の力でどこまでできるのか試してみたい気持ちは変わらず、友人が立ち上げたばかりの小さなベンチャー企業に転職しました。

 

転職して出会ったサービス業


新しい職場は、ブライダルのプロデュースを手がける会社でした。当時、婚礼におけるプロデュース業はほぼ存在しておらず、会場ホテルを決めれば衣装も花もカメラマンも美容も、選べないのが普通でした。それではお客様の本当の期待には応えられない、と考えた私たちは、そのような既成概念を打ち壊してブライダルの新しいかたちをつくり、業界を生まれ変わらせることを目指したのです。
婚礼プロデュースを手がけるうちに、気づいたことがあります。結婚式は半年以上の時間をかけて準備します。お客様と親密にコミュニケーションをとって信頼関係を構築するのですが、そうして築き上げた関係は、挙式を終えた瞬間に途切れてしまいます。これはあまりにもったいない。私は、お客様との関係が将来にわたって続けられる業態はないだろうか、との思いを抱くようになりました。

 

ホテルの持つ可能性に賭けて

やがて東京の本社を離れ、一人で関西の拠点を任されました。三年ほどで事業所の規模をかなり拡大しましたが、それでも、会社の最終的な舵を取るのは私ではなく社長です。そこに歯がゆさを感じ、入社後五年で独立に至りました。
それからは、婚礼だけでなく飲食店経営など、さまざまなプロデュースを手掛けました。バブルが崩壊し、社会の潮目が変わってきた時期です。ホテルウェディングの業界はさらなる減速にみまわれ、プロデュースを委託されることが増えてきました。それらを請け負うなかで、宿泊、婚礼、レストランを兼ね備えたホテルの持つ潜在的な可能性に気づきました。挙式されたお客様が、生まれたお子様を連れてお食事に来られたり、宿泊されたりすることで、長く続くお付き合いの場を提供することがホテルにはできる。関係を長く育む方法の答えが見つかったのです。
折しもバブル崩壊の影響で、関西にも遊休物件が溢れていました。そこで出会ったのが、のちに「ホテルセトレ神戸・舞子」となる物件。我が社初の直営ホテルです。無謀にも売上の三倍もの借金をして購入しました。それから十年は本当に大変で、返しては借りる自転車操業でしたが、目先の資金繰りよりも遠くを見据えた挑戦ですから、暗い気持ちになったことはありませんでした。

 

地域資源を企画・編集して、地域に愛されるホテルに


一般に、結婚式場としての役割をメインに据えたホテルは、アクセスの利便性よりも景色の良さが目玉になります。裏を返せば、宿泊そのものには魅力がない、「宿泊付き結婚式場」になりがちです。しかしそれでは面白くない。ホテルとしての新しい価値や、一般のお客様への訴求力を生み出す方法を考え続けました。
行き着いたのが、「地域型のコミュニティホテル」。カギは、その地域ならではの魅力を打ち出すプロデュースです。地域の生産者や職人は地元に根差しこだわりある活動をしている一方で、大量生産大量消費の供給システムではその個性を発揮しにくい現状もあります。この状況を受け入れる受け皿としてホテルという舞台を活用する。例えば建材に地元の木を使い、レストランでは地産の食材を信楽焼の器で提供する。生産者や職人の方の息吹まで伝えたいと思っています。これによりホテルは単なる箱にとどまらず、地域の文化や魅力を伝えるメディアにもなりえるのです。
今やコミュニティとは「地域共同体」という概念だけではなく「つながり」。現代社会において、リアルな血縁や地縁だけでなく、インターネットやSNSの発展により「知縁」といった共感や共鳴といった価値観によって築かれました。メディアとしての役割を果たすホテルで、お客様、地域の生産者や職人、そして働く私達が共に絆や生きがい、やりがい、働きがいを育むホテル(場)を展開することがホロニックの軸であり、使命です。

 

「育つ環境」を用意するのが経営者

私には、人材を「育てる」という意識はありません。誰しも、他人から管理されるのは嫌ですよね。それなのに、上司は部下を管理しようとしがちです。管理しようとする人と管理されたくない人しかいない組織が、うまくいくわけがありません。それなら、管理をせずに組織が良くなる道を追求する方が理にかなっています。
環境さえ整えば、自然と人は育ちます。経営者は「場」づくりに徹するべし、が私の信条です。
いま会社では「ビジョンプロジェクト」と銘打ち、従業員に、会社の掲げるビジョンを自由に解釈して、実現に向けてチャレンジしてもらう取り組みをしています。従業員の背中を押せる会社であり続けたいと思っています。

 

仕事とプライベートの一体化

没頭するほどの趣味はありませんが、ゴルフもするし、映画を観たり、美術館や博物館を訪ねたりもします。仕事とプライベートには境を設けず、旅行のような出張もあれば、仕事の合間に街に繰り出すこともあります。とにかく常に自分の感性を磨く、そんな努力がいつしか娯楽になっていると言えるかもしれません。
最近はよくサウナに行きます。あえて考えごとをする時間を作ろうと行くのですが、実際には頭を空っぽにして、リフレッシュして帰ってくるだけのことがほとんどです。
家では娘たちも大きくなり、妻や娘の好きな宝塚のチケットを頑張って取るくらいしか、私の出番はありません。家族からは「指示待ち人間」と言われています。会社では部下に「指示待ち人間になるな」と言っているのですが……。

 

GCCOにかける思い

一般のお客様を対象とするホテルに対して、GCCOは会員制のコミュニティラウンジ。切り口や対象は異なりますが、人と人をつなげていく、という根っこの部分は同じで、これこそが私の原点です。
2007年に運営委託を受け、その時点では、ビジネス上の関係で入会しておられる方がほとんどで、会員数は多いけれど利用率は決して高くなかったのです。ここに限らず、当時、多くの会員制ビジネスは形骸化していました。けれども私は、ビジネスコミュニティの存在意義は絶対にある、と確信していました。
このコミュニティ自体に魅力を感じてもらうためには何が必要か。その答えはやはり、「人と人とのつながり」でした。私たちは、会員様同士の絆を深め、ネットワークを広げていただくことが必須と考え、様々な取り組みを仕掛け続けました。やがてそこに共感された方が入会してくださる流れができ、今では、関係性を深めてくださる方の厚い層ができつつあることは嬉しいですね。GCCOは「つながりつなぐ舞台」の一つ。私達が、会員様同士をつなげる触媒の役割を果たすことで、ここが皆様にとって「生涯コミュニティ」を育む場となることが理想です。

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